能登半島地震(2024年)工事対応まとめ
2024年1月1日に石川県の能登半島で、M7.6・最大震度7の地震が発生しました。
弊社では年始より元請業者様の要請を受け、1月23日より被災地に向かい、応急仮設住宅の給排水設備工事の対応にあたりました。
仮設住宅全体の排水設計と給水設計を行い、浄化槽や貯水槽を含めた、各設備の工事に従事しております。
2024年1月末には工事にあたった石川県第1号応急仮設住宅が完成しました。
※(最終更新日:2025年1月9日)
往路
被災地出発への準備は年始よりすぐに行われ、食料・飲料水・生活用品の他、トイレ・寝具などを買い揃え、持込品により自給できる体制を整えました。
被災地の情報がほとんどなく、状況がわからなかったため、1ヶ月間程度の車内滞在を想定し、準備しました。
宿泊のため、キャンピングカーを岩手県内で調達しました。この頃は全国探してもキャンピングカーの在庫が無く、調達に苦労しました。
車内は生活品の他、工事用具も積み込む必要があったため、パンパンな状態です。
悪天候
私たちが出発したその日、石川県七尾市への到着を目標としていましたが、磐越道を越えたあたりから徐々に降雪が激しくなり、北陸自動車道は通行止め。高速道路を下り、富山県内で1泊することになりました。
到着
翌日、富山市~七尾市~穴水町~珠洲市と向かいましたが、道路陥没や路肩崩壊した路線が多く、到着したのはその日の夕方でした。しかし、あれだけの地震があった中でも、通行ができる状況には、復興にあたった業者さんの存在を感じさせます。
道行く先のほとんどの家屋が倒壊していて、被害の大きさを実感します。
珠洲市①
到着後、元請様と打合せを行い、作業にあたりました。
翌日に浄化槽の搬入日を控えていたので、急ピッチで進めます。
工事は仮設住宅の浄化槽設置指針に沿って行いました。
弊社では2011年の東日本大震災の際にも岩手沿岸地域で応急仮設住宅の浄化槽設置対応にあたっており、その時の経験が生かされました。
ただし今回は震災直後の対応ということで、資材・工具・重機の現地調達が難しく、ドラスティックにこなしていくという作業が続きます。
その日はキャンピングカーで1泊。レトルト品が多かったので、マキタの電子レンジが活躍しました。
翌朝浄化槽の搬入を始めました。
立話の感じなので恐らくですが震災後、能登半島での浄化槽の搬入はこの現場が初めてになります。
50人槽×6基の据付となりました。
据付後、すぐに次の現場に向かいました。
輪島市①
駐車場が陥没していたため、まずは水平の確保が必要でした。
墨出しとレベルの測定を行い、土台を成形しました。
資材が不足し、1日にやれることの制限があったりと、なかなか進まない状況もありました。
こちらの現場が石川県第1号の応急仮設住宅となりますが、1月末の納期に向けて、緊迫した状況で工事は進みました。
現地の作業の他に、設備機械の納品調整が一番大変でした。ご協力頂いたメーカーや運送業者の皆さま、ありがとうございました。
浄化槽据付完了。その他、ポンプ類の調整等も行いました。
報道陣の方が毎日訪問し、様子を撮影していました。
工事に従事した私たちからすると納期に間に合わせるために目まぐるしい期間でしたが、被災し避難所生活をされていた方々からすると、とても辛く長い1ヶ月だったと思います。そしてこの仮設住宅に入居できる方もほんの一部でしか無いことを考えると、被災地の工事を1日でも進めることであることが今の私たちの使命であると再度認識し、スタッフに共有しました。
七尾市①
応急仮設住宅の工事に従事しました。
珠洲市②
応急仮設住宅の工事に従事しました。
珠洲市③
応急仮設住宅の工事に従事しました。
七尾市②
穴水町①
応急仮設住宅の工事に従事しました。
珠洲市④
応急仮設住宅の工事に従事しました。
珠洲市⑤
応急仮設住宅の工事に従事しました。
被災地の状況
現地に居ても資材や設備機械の納品が難しく、正直作業がやれることが無い日もありました。
そのため、合間を見て被災地の状況を撮影することにしました。
私たちはボランティアをしたり、現地で生活しているわけではないので、被災地の状況を理解し伝える立場にはございませんが、記録としてその一部写真を掲載しておきます。
まとめ
災害関連死の中に、長く続く避難所生活で環境変化や医療体制の不備が原因で亡くなってしまうケースが含まれます。私たちが従事する応急仮設住宅の工事は、被災された方の災害関連死を防ぐ1つの方法であると確信しています。
1人でも多くの人の命を救うために、これからも被災地の対応に尽力していきたいと思っております。
弊社の保有する技術力をさらに研鑽し、社会に貢献する使命を果たしていく企業として、成長して参ります。